ニワカソフトのメンバー特集企画。
今回はニワカソフトのお姉さん的存在、石田 洋子にフォーカスを。主に「ロボマスター事業」に従事している石田ですが、一体どんな人物なのでしょうか。お楽しみに。
事業戦略室 室長 石田 洋子 某電子工作キットメーカーに勤務後、2018年4月にニワカソフトに入社。
石田洋子とはどういう人物なのか、を掘り下げていきます。
ロボマスター日本開催に向けて
- さて、今回フォーカスあてるのは石田さんだけど、小柳くんって石田さんがどんな仕事してて、どんな人か知ってる?というかちゃんと話したことあるの?
- いや、すんません。ちょっとよく分からないですね!ロボマスター関係ってのは分かるんですけど…あとは物知りってことくらい。
じゃあいま石田がニワカソフトで何をしているのかをまず掘り下げていきます。
- 石田さんっていまどんな仕事をしているんですか?
- 私の仕事は簡単に言うと『古賀さん・小田さんの夢を叶えること』ですね。その夢というのがロボマスターを日本で開催することで、私はそのお手伝いをしています。
ロボマスターとは 中国・DJIが主催する世界でもトップレベルのロボットバトルの大会。中国・深センで毎年開催される本大会では世界中から何百万人もの視聴者が大会を見る。ニワカソフトでは連合チーム「FUKUOKA NIWAKA」を創設し、2018年に日本チームとして初参加。ベスト16まで勝ち進む。
- ロボマスターの日本開催と聞くとすごい壮大に思えますね。具体的にどんなことをしているのですか?
- ドローンで有名なDJIが開催してるロボマスターは中国・深センで開催されていて中国の超優秀な大学や学生エンジニアが集まってくるロボット大会なの。そのDJIが作った「ロボマスター」というコンテンツを日本に持ってきて、日本で地区選をやる。あくまで大会なので出場する人を日本で集めてるところです。
日本で開催するにあたって、日本の大学生や工業高専生を集めて日本で開催をするとのこと。ただロボマスターに参加するにあたって「予算・場所・工具」が無い。
工業大学でのロボットの予算は少ないところでは20万~30万円ほどとのこと。ロボマスターで使うロボット1体を作るにも30万~50万円ほどかかってしまうと考えると、到底足りないことが分かる。
- やりたいっていう学生はたくさんいるのね。でも、どうしても予算が無かったり、場所が無かったりと『できる環境』が無いから技術があっても発揮できる場が無い。無い無い尽くし。だからやる気がある子にできる環境を作ってあげるのが今のお仕事。
ロボマスターを開催するにあたってまずメンバーを集める必要があるので、やる気のある学生や高専生を集めつつ、スポンサー探しをしているとのこと。日本開催でのロボマスターに日本の優秀なエンジニアが集まり、そんな人材を欲しがっている企業とをつなげる枠組みを目指している。
- なるほどなるほど。ロボマスターを日本で開催するのと同時に日本のエンジニアを育てる。深いですね。でも上手く行くことばかりでは無いですよね?
- もちろん。さっきも言ったけど「ロボマスター」っていうのはDJIが作ったコンテンツなのね。だから日本で開催するにしてもDJIのいろんな許可も必要だし、対等に渡り合わなくちゃいけないの。でも、中国との規模感が違くて話すスケールがまったく噛み合わなかったりする。
深センでのロボマスターに優秀なエンジニアが300人~500人ほど集まる事に対し、日本で30人集まった事を報告しても少ないと言われる。圧倒的な人口の違いがあるにも関わらず、人数だけで見られ認めてもらえないことも。
大きな声では言えませんが、ロボマスター開催を応援してくれるスポンサーを集める際にも批判的なことを言われることも…
- 日本で中国のロボマスターというロボットの大会を開く事に疑問・不安を抱く人も多いのは事実。偏見を無くすには、国境を飛び越えて日中のエンジニアが交流をしたりしていく必要があるのかなと思います。
世界的にエンジニアは減ってきてると思う。そういった中で日本ではまずエンジニアが力を発揮できる環境を作って、それを応援したい人も増やしていき、これまで偏見を持っていた人の考えも変えて行きたい。とも石田は話していた。
- 石田さんなかなか大変そうですね~。超えなくちゃいけないハードルがめちゃくちゃ多い!
- でもね、日本を背負って立つエンジニアを育てるという目的のためであれば、別に大変だとは思わないですね。ニワカソフトから日本のロボコン界に一石を投じる気持ちでやってるの。今までに無かったロボコンを作る。ニワカソフトってそういう会社でしょ?今までに無かったことをやろう、今までにないものを作ろう。それができると信じてるから楽しくやらせてもらってますよ。
ロボマスター日本開催に向けて、早ければ2020年に日本で初めての開催を目指す。現在は8チームほどできる見通し。2025年には28~32チームを作ることが当面の目標と話す。現在はニワカソフトでFUKUOKA NIWAKAのメンバーでもある王 宏亮と、永島と共に動いている。
ロボマスターの日本開催への思いは熱く、こんな事も話していた。
- 「学びたい」という意欲に対して制限をかけるべきではないと思ってるの。興味があるんだったら24時間でもどうぞって。実際にロボマスターに関わる学生たちは誰が強制したわけでも無く泊りでお風呂にも入らず作業したりすることもあるのね。そういうのを銭湯が支援してくれてスポンサー(ファン)になってくれたら楽しくない?行くと「ロボットできてるのー?」みたいな会話をおっちゃんとして、ファンになってくれれば素敵だと思う。
話の背景には、昔は公民館などで町の親父たちが集まって遊びを教えてくれたり、お菓子をくれていたりしていたが現在はそういう風潮は無くなってきている。でもニワカのラボは、技術を持ったおっちゃんがいて、学生もいて、昔のような公民館みたいな存在になれたら良いよね。とも話していた。
やりたい事を満足するまでできる環境を周りが作ってあげて、尚且見守ってくれる環境があれば未来明るそうですね。
深い、深すぎる。
- 石田さんっていろいろ深く考えてるんですね。事務所に一日中いるってこともあまり無いし仕事の話はあんまりしたことないので深いい話でした。実際石田さんってあっち行ったりこっち行ったりと出張とか多いですよね?
- たしかにたしかに!今までいろんなところに出張行ってると思うんですけど、一番きつかった出張ってどんなのですか??
- 今までで一番きつかったのは京都・舞鶴高専に行った出張かな。まずルート検索するのに半日もかかってしまったのよ。飛行機経由で行くにしてもいろいろ乗り継いで4時間以上かかるし、新幹線でも5時間半くらいかかるし…レンタカーっていう手もあったけど、結局前乗りして電車で帰ってきたけど一番いろんな意味で大変だった。でも軍艦カレーはおいしかったよ。
韓国行く方がよっぽど楽で、なんなら深セン→大阪→東京に行くっていうスケジュールの方がよっぽど楽だったと。電車の時間を調べまくったおかげで、時刻表トリックが組めるほどになったそうです。
現在ニワカソフトで行っている仕事の内容はわかったので、もっとディープな質問をしていきます。
大学時代は走り屋の過去がある?
では、ここから石田洋子の半生について聞いていきます。
- 生まれはどこですか?
- 生まれは島根県益田市です。島根県って知ってる?
- 島根県ぐらいは知ってますよ!!左か右かはちょっとよく分かりませんが…
- 私は益田市の中でも海に近い所に18歳まで住んでました。雪舟や柿本人麻呂がそこで亡くなったとか言われてます。 ちっちゃい頃は海に潜ってアワビとか採ってたよ。今は駄目だけどね。
- アワビうまそう…
-小さい時はどんな子供だったんですか?中学や高校時代の部活なんかも教えてください。
- 小学校・中学校がブラスバンド部で、フルートと打楽器とアルトサックスを吹いてました。全国大会に行くくらいガチな奴で、確か全国5位とか…
- 全国5位は凄いですね。私は高校の時ブラスバンド部でクラリネットしてたんですがとても難しかったです。じゃあ高校の時は何部に?
- 小・中で消耗が激しい部活やってたから、高校の時は楽に生きたいと思って放送部に入りました。お昼になったら音楽流したり。発声練習で早口言葉も言ってました。「獅子汁獅子鍋獅子丼獅子シチュー以上獅子食試食委員会試食済み。」言える?
- シシュシュシュsh…僕は滑舌がかなり悪いので、絶っっ対に無理です!!でも石田さんのハッキリと聞きやすい話し方は放送部での経験から来るものなんでしょうねぇ。
- 福岡に来たきっかけは?
- 親が福岡で商売していてその頃はバブルだったから「福岡に来たら車買ってあげる」と言われて、それに釣られちゃって西南学院大学に行きました。指定校推薦で早めに受かったので、勉強せずにゲーセン行ったりしてたね。
- 福岡に来たかったと言うよりは、車に釣られてきたと言う事なんですね。バブル…僕の知らない時代ですね。
- 大学生の時はどんな学生だったんですか?
- 当時はやりたい事なんて無かったし、大学の時もあんまり学業に専念はしてないです。学校には行ってるんだけど、授業には行かないみたいな。部活三昧でした!
- そこまで熱中する程の部活って何部だったんですか?
- 部活は自動車部って所に入ってたんだけど、主にモータースポーツをやってました。 楽に大学生活を過ごす指南をしてくれる先輩が自動車部に居て、いつの間にかメンバーになってて。でも1位になってトロフィー貰ったりしてたよ。
フィギュアと言うモータースポーツについて詳しく説明してくれたが、同乗者がカクンと動いたら減点などかなりシビアな競技。 簡単に言うと自動車教習所のクランクや車庫入れをかなり難しくしたバージョンらしい。
- 後、自動車部のメリットとして安く自動車免許を取れたんです。私、教習所とか自動車学校に行かずに直接試験場に行って免許取る感じ。 上手な人は5万くらいで取るけど私は12万ぐらいだったかな。
普通に自動車学校で免許を取得すると30万くらいはかかるので、12万でもかなり費用を抑えられていて羨ましいですね。
- やっぱりハンドルを握ると人が変わったりしますか??走り屋の血が騒ぐみたいな。
- うーん…変わる時もあるかな。山の中を夜21時スタートとかで走ってたからね(笑)後はドリフトもやってたよ。
- おぉ、ドリフトまで…想像してたまんまの走り屋で安心しました!!
- でも、そんな部活ばかりしてて単位とか大丈夫だったんですか?
- 大丈夫じゃなかったんよね。部活一筋だったから卒業できるか危うくて、出来ないと思ってたんだけど出来ちゃった(笑)卒業できないと思ってたから就活もしてなかったんだけど、ゼミの教授から会社を紹介されて卒業して2日後くらいに地元大手ホームセンターに就職が決まったんです。
指定校推薦で大学行ったり会社を紹介してもらったり、試験から縁の無い人生だったと語る石田。羨ましい。
ニワカソフト入社前の石田の仕事ぶり
- 今までどんな仕事をしてきたんですか?
- 地元大手ホームセンターに入社して人事採用をやってたんだけど、当時は「本部のスリム化」「再構築」って言葉が流行ってて1年半で電子工作キットメーカーに異動させられたの。そこからの歴史が長いんだけど…
電子工作キットメーカーでは総務、カスタマーサービス、生産部アシスタント、生産部工場長、開発部、営業マネージャー、営業リーダーとあらゆる職務を経験して来たと言う稀有な存在の石田。
- 最後は営業リーダーまでなったんですけど、諸般の事情で異動になりました。結局最初働いていた地元大手ホームセンターに戻る事になっちゃって。そこでは経営企画室という部署で子供向けワークショップの博覧会を企画・運営などをしました。
天神中央公園で行われたワークショップ博覧会、なんと来場者数は18,000人。インタビュアー3人の想像を遥かに超える規模でした。
- そうこうしてるうちに大名のFukuoka Growth Nextの中にレーザーカッターや3Dプリンターを置いたモノづくりのスペースを作る事になりました。軽トラを乗り回して木材を運びまわったり…時間も資金も少ない状態で大変だったね。
Fukuoka Growth Nextとは 閉校となった旧大名小学校が生まれ変わった、スタートアップ企業や第二創業をサポートしている官民共働型スタートアップ支援施設。ニワカソフトも利用している。
- そこで3Dプリンターのコンテストがあるって事で、コンテストに応募する人が必要だから「大名3Dプリンター部」って言う部活を作ったんですよ。そこの部員の一人が永島君。まさか一緒に働くとは夢にも思ってなかった。
- えっめちゃくちゃ凄いじゃないですか。みなさんその事知ってました??
- 知ってた。
弊社エンジニア永島に興味のある方はナガティブジャイアン30代の始まり~日々奮闘ものがたり~をご覧ください。
ニワカソフトに入社する前に永島と知り合いになっていたと言う。Growth Nextの時にも昔仕事で行ったプロジェクトに参加してくれた女の子がスタッフとして入ってきたりと、不思議な縁があるということ。
石田の不思議な人との縁は続くもので…
- 小耳に挟んだんですけど、ジュニアのロボットコンテストの立ち上げに関わったって本当ですか?
- 私ゼロから関わる仕事が多くて、RoboCupっていう競技(ロボットのサッカー)が1997年に名古屋で第1回が開催されたんだよね。RoboCupは大人とか大学生がやってんたんだけど、でもこの人達にさせるためには小さい時の教育が必要だねってムーブメントが起きて1999年くらいに日本でジュニアを立ち上げようって動きがあったんですよ。
RoboCupとはロボット工学と人工知能の融合、発展のために自律移動ロボットによるサッカーを題材として日本の研究者らによって提唱されました。
西暦2050年「サッカーの世界チャンピオンチームに勝てる、自律型ロボットのチームを作る」という夢に向かって人工知能やロボット工学などの研究を推進し、様々な分野の基礎技術として波及させることを目的としたランドマーク・プロジェクトです。
現在では、サッカーだけでなく、大規模災害へのロボットの応用としてレスキュー、次世代の技術の担い手を育てるジュニアなどが組織されています。
- その時に電子工作メーカーである私たちにお声がけがかかって、その当時、ブログラミングロボットはレゴくらいしかなかったんです。レゴしかないところに私たちは商品を開発してRoboCup用のロボットを作ったんですね。
- さらっとすごい事言いましたね。
- で、日本に普及しようっていう勉強会をして、その時にルールは海外の人が作るけど、日本語に訳して日本に普及させたりとか日本のロボマスと同じで選手がいないと成り立たないので育成のためのプロジェクトができたんですよ。
- 確かに選手がいないと大会も開催できませんし、トーナメントだったら何チームも作らないといけないし、育成大事です。
- そうこうしているうちに福岡市の先進的な職員さんが2002年(※RoboCupはワールドカップがある年にワールドカップ開催地で世界大会を行うのが決まっていて2002年は日韓ワールドカップの年)に福岡のドーム(※今のヤフオクドーム)でRoboCupをしようって事になって、実際に開催もされました。
- RoboCupが福岡で開催されたとは知らなかったです。
- そうすると福岡市がやってるイベントなので福岡市でジュニアを育てないといけないって事になって、もともと私たちは立ち上げから関わってきたので、福岡でチームを作って小学校にも教育にいったり、名古屋市科学館とかと提携して子供を育てたりとか、いろいろとやっていてロボスクエアはこれがきっかけに出来たんですよ。
ロボスクエアはロボカップ2002福岡・釜山大会を契機に、2002年7月20日に開設されました。 これまで産業用が中心であったロボットが、これからの少子高齢化の中で家庭やオフィスに進出し、医療や介護、災害救助、また癒しの分野などでも重要な役割を担っていくと考えられます。 ロボスクエアは、実際にロボットに触れて、体験し、考えていただくことを通して、今後ロボットを市民生活の中でどう活かしていくか、また人とロボットの理想的な共生とはどのようなものかといった、夢をはぐくむ場です。
※ロボスクエアは2017年10月1日(日)に福岡市科学館5F(基本展示室内)に移転しました。
- で、おそらくここら辺で育てた子のうちの末裔というかその中の1人が河島くん(FUKUOKA NIWAKAのメンバー)なんですよ。河島くんとは多分直接あってないけど、河島くんが活動していたグループの子とかもしかしたら去年FUKUOKA NIWAKAに入ってくれた子とかも北九州で活動していたので、直接の面識はお互いないけど、この頃に私たちが蒔いた種がいま実を結んで返ってきたって感じ。
河島晋さんはロボマスター「FUKUOKA NIWAKA」のプロジェクトマネージャー。とてもえらい人です。2018年のロボマス出場時には回路班のリーダーをしていました。
河島さんと面識がないとしてもこうして間接的に関わっていたなんて震えます。
と、ここで運命的な出会いをした河島さんに石田さんについていろいろ聞いてみましょう。
- 石田さんってどんな人ですか?
- 悩み事とかある時に相談しやすい人ですね。色々聞いてくれていい答えをくれる人です。
- 本当に姉さんって感じですよね。
- そういえば河島くんって子供のころに石田さんに出会ってるみたいですけど、覚えてますか?
- それが覚えてないんですよね。
- 石田さんも言っていましたが、お互い面識がなかったみたいなので、残念です。
恋愛ドラマだったら恋に落ちる展開なのに・・・・。
- では大人になったから石田さんと知り合うわけですが、初めて会った時の印象を教えてください。
- 優しそうな方だなーって印象でしたね。
- 初めて石田さんと会った時ってロボマスに出るって時ですか?
- あ、勤務先が同じで・・・。部署が違いましたが、ものづくりの施設で一緒に仕事をしたりもありました。
- あー。石田さんに聞いたのに忘れていました。それでロボマスで出会っちゃった感じですか?
- はい。ロボマスに参加するきっかけは違いましたが、再会した感じです。
- 唐突ですが、石田さんにここだけは直してほしいってとこはありますか?
- とくに考えたことはなかったです。
- たしかに石田さんは素敵な人ですよね!
過去に同じプロジェクトに参加し、そしてロボマスで再開。今は河島くんと石田さんはスイーツ仲間とのこと。そして永島と石田は先生と生徒から今では同僚。こりゃー運命を感じます。
「何年かたって会うって事が多くて本当に人を育てるって大切だなーって」と語る石田。自分もそう思います。
そんな人との出会いを大切にしている石田にプライベートについて聞いてみました。
常にトレンドは追っておきたい
- 若さを保つ秘訣は?
- そういえば石田さんって僕の母親と同じ年ですが、意識して若作りとかしてるんですか?
- ・・・確かにお母さんと同世代だよね。
- すみません。僕22歳なんで。
- そうだね。スマホで最新情報をチェックしたり、あとは街ブラ。
- 街ブラいいっすね。
- 何も買わなくても街に出ると今どんなものが流行ってるとかわかるし、常にアンテナを張ってトレンドを追いかけてるよ。
- これが無いと生きていけないってものありますか?
- メガネ、花粉症のクスリ、猫かな。
- メガネと花粉症のクスリはリアルに生きていく上で大事なことですね。
- ストレス発散法とかってありますか?
- ストレスは無いね。まぁ甘いものが好きだから、最近はセブンイレブンのかりんとうまんじゅうにはまってて、食べると癒される。でも体は痛いからマッサージには行くかな。
- プライベートがイメージできないんですけど、休日はどこか出かけたり、よく行く場所とかありますか?
- カフェに行くのが好きでインスタによく上げてるよ。最近はマカダミアコーヒーの香りがやばい。
- そーそー先日一緒に行った糸島ドライブでもカフェ行きましたね。かなりおしゃれだったし、ほっこりしました。
休日には車の運転が好きな石田が運転して、雷山千如寺を見たり、糸島の酒蔵【杉能舎】などドライブに出かけることも。
- 石田さんチョイスで色々なスポットを回ったんですけど、センスがいい。私よりも最新トレンドが分かってるし、尊敬します。
- プライベートでも仕事面でも今後挑戦したいことってありますか?
- 仕事面では色々なスキルを上げたい。例えば英語とか。あとは話を聞いて欲しい、行き場がない人の受け皿になりたいな。
- これ以上親身になって話を聞いてくれるとはまさしく神対応ですね。
- プライベートでは体調を崩しやすいからなるべく風邪をひかない、倒れないかな。
いつも全力なので体調には気をつけて頂ければと思います。では最後にニワカソフトへ入社したきっかけなどを聞いていきます。
ニワカソフト入社時のエピソードを語ってくれました
- ニワカの仕事環境はいかがですか?
- すごくいい。元気になれるし、やりたい事ができるのが良いね。
- そういえば転職してニワカに入ったきっかけは?
- 元々永島くんを3Dプリンター部に誘った人がROBO-ONEにいて、大名3Dプリンター部(※Fukuoka Growth Next)の繋がりもあり、古賀さん(ニワカソフトの代表)って人が日本でロボマスをやりたいって話があって。
ROBO-ONEとは 二足歩行ロボットの格闘競技大会。ROBO-ONEとROBO-ONE Lightの2つのクラスがあり、ROBO-ONEは全国から集まった2足歩行ロボットの頂点を決める大会です。
- でもその時は前の会社に在籍してたんですよね?
- うん。会社の考え方と合わなくてやめますって状況だったんだ。で、古賀さんと出会い、新しい雇い主を見つけて今に至る。
実は話を聞いていくうちに石田さんがニワカに入社する際に感動的なドラマがあった事が判明!!
古賀聡と小田英天を本気にさせた女「石田洋子」
面接を経て、突如会社へ呼ばれた石田。実際にいつから入社するかなど具体的な話をするんだろうなーと会社を訪れたところ・・・
古賀(代表)「やっぱり入社はちょっと待ってください」
入社する気満々だった石田はびっくり。
ニワカに入るために仕事を辞めたし、車のローンも組んだばっかりだったのに・・・
言葉にはしなかったけど心の中でもやもやしていたそうです。
ひどい話ですよー。期待だけさせて。悪い男です。
実はこの時古賀は新しい事業(※日本から初めてロボマス出場など)が上手くいくか踏ん切りがつかなかったのです。
そのためこんな中途半端な状態で石田さんに来てもらうのは迷惑がかかるのではと心配していたそうな。
ー 石田「何言ってるんですかー自分の給料は自分で稼ぎますし、ロボマスをしたいならその夢を叶えます。それについては心配しないでください。では目処が立ったら連絡ください。」
そう捨てセリフを吐いて、事務所を出る石田洋子。
テクテクと歩いていると、切羽詰まった男からの電話が・・・。
小田「石田さん待ってください。やっぱりちょっと会ってください」
電話の主は小田(取締役)。
呼び止められた石田は近くの喫茶店で小田と待ち合わせをする。
小田「こんなに会社の事を思って働きたいって言ってくれる人がいるのに僕たちが踏ん切りがつかないのは良くないって話になって。僕たち腹をくくったのでニワカソフトに入ってください。」
どうやら石田の言葉に古賀も小田も心を動かされたようですね。
感動的です。
変わらない事は悪だと思うべし
- いやー、石田さんの話聞いてるとすごいですね。ぼくなんかまだ22歳だし、今後ちゃんと生きていけるかどうか…今後どうやって生きていけば良いかとかアドバイスありませんか??
- 自分が10年後とか20年後にどうなりたいかイメージ出来ていますか?ただなんとなく仕事をしている、生活しているだけでは何もできない、イタイおじさんやおばさんになりますよ。
今からでも遅くないし、ちゃんと先を見据えて、10年後にこうなりたいという目標のために今何をすべきかおのずとして分かってくると思います。
まぁどうなりたいか分からない、どうすればいいのかわからないなら相談に乗りますので、お金の話でもいいし気軽に話しかけてください。
- あ、、ありがとうございます。。。あ、、あっ!
- 僕は、イタイおじさんにはなりたくないっ!!!
小柳も石田に感銘を受けた一人となりました。今後別々の道を歩んでもどこかでもしかしたらまた出会うかもしれませんね。
色々な体験を積んできてる石田。だからこそ仕事面でもプライベート面でも頼りになる存在なんでしょうね。
インタビューを通じてニワカソフトの頼りになるお姉さんだということが良く分かりました。
では石田洋子の名言でこの記事を締めたいと思います。
「島根は鳥取の左側です!」